本家本元もとのもと
本家本元
もとのもと
岡山といえば、きびだんご。
きびだんごといえば、廣榮堂武田。
創業は安政三年(1856年)
百六十年の伝統をお届けします。
藩からもらった国印が 元祖メーカーの証です。
池田藩筆頭家老の伊木三猿斎忠澄が、茶道の友人であった武田半蔵(廣榮堂武田・初代)にきびだんごを依頼したのがそもそもの始まりです。出来上がったきびだんごは味に優れ、絶好のお国名物として池田藩の国印である釘貫(くぎぬき)を商標とすることを許されました。このお墨付きを現在も所有し引き継いでいるのが、本家本元、廣榮堂武田のきびだんごなのです。
時代の追い風を受けて、 二代目・浅次郎の奇策。
廣榮堂武田の二代目・武田浅次郎は商才に長けた人でした。明治27年(1894年)に始まった日清戦争。大陸から広島の宇品港に帰ってきた兵士や関係者に対して、浅次郎は自ら桃太郎の装束を身につけてきびだんごをPRしました。明治37年(1904年)に始まった日露戦争でも、桃太郎の装束を着た浅次郎の姿が宇品港にありました。浅次郎のこの奇策は大あたり。山陽鉄道の開通と拡充(1894年に大阪−広島間が開通)という幸運に恵まれたこともあって、きびだんごは岡山の銘菓として全国に知られるようになったのです。
伝統に新しい解釈を加えた きなこのきびだんご。
岡山が都市として大きく飛躍するきっかけとなったのが、昭和47年(1972年)の山陽新幹線の開通でした。その2年後、JR岡山駅前に「岡山一番街」が誕生。廣榮堂武田は中四国地方最大規模のこの地下街に新しく店舗を展開しました。さらに昭和52年(1977年)には、それまでの伝統的なきびだんごに国産きなこをまぶした「きなこきびだんご」と、岡山県産の白桃を使った「白桃ゼリー」を新しく発売しています。ともに当初は斬新な試みとして受けとめられましたが、現在では人気の定番商品です。わたしたちは伝統を尊び重んじながらも、その上にあぐらをかくことはしない。そんな姿勢を大切にしています。
いまの時代を映した 新しいパッケージ。
このたび、きびだんごのパッケージを一新しました。全面にあしらった桃太郎のイラストは、雑誌や広告で人気のイラストレーター、Noritake氏によるものです。ミニマルな線と色で描かれた郷土のキャラクターたち。いまの時代を映したかのような、シンプルで洗練されたパッケージを目指しました。伝統を尊び重んじる一方で、変化をおそれず、新しいことにも積極的にチャレンジしていく。廣榮堂武田の次なる一手にご期待ください。